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2015年12月26日 (土)

吉本隆明と小林秀雄(2)

~「第二の敗戦期」と「現代の超克」~

○「儲からない農業」の行方Afrika1

 しかし、九〇年代に入り、マルクスの史観にも限界をみた彼は、「アフリカ的段階」を設定し、高度資本主義のさらなる進展の追求と「アフリカ的段階」(プレ・アジア的段階)への遡行が同じであるような方法に活路を見いだそうとする。史観の拡張である。

 「現代の超克」を考えるとき、彼は「現代を超えること」とアフリカ的段階に下りることが一緒である方法に求めた。「上のほうに抜ける」こと、つまり産業のさらなる高次化と、「下のほうに抜ける」こと、つまり「自然にまみれた」アフリカ的段階に下りることが同じであるという方法を模索した。高度資本主義の進展(西欧的段階の先へ進むこと)は必然でありそれを阻んではならない。そのときアジア的なるものが消えることは避けられないと認識し、それを必然と受けとめていた。同時にそのとき、プレ・アジア的段階としてのアフリカ的段階を受け皿として用意していた。だから日本の現状を語るとき、アジア型農村の解体を押しとどめようなどとは考えていなかった。当然「ゆったりした農本的な生活の感覚」へ執着を示すこともなかった。むしろ、そんなこだわりをこめた言説を倫理的反動と蹴散らしてきた。それは農業のとらえ方に端的に示されていた。農業とそれを営む人がどうなるか、たしかにこれを「現代の超克」の重大なテーマとおさえていたが、他の産業と比べて「儲からない農業」が日本から消えるのは、是非を超えてやむをえないことととらえた。「農業離脱」は文明と歴史にとって不可避ととらえていた。誰も止められないし、止めてはならないと。

 ところが二〇〇八年、「農本的な生活の感覚」が違和にさらされていると慨嘆を漏らした。「農業離脱」を果たす列島が「農本的な生活の感覚」を失うのは避けられないはずだ。「生活の感覚」は、働きかける自然や産業との具体的関わりを外して抽象的になど存在しえないのだから。かねてから生活感覚の速度は産業の速度と重なると自らも認めていた。だからこの慨嘆は、『ハイ・イメージ論』と噛みあわない。彼の思考は引き裂かれていた、とみるしかない。もちろん、わたしはここで矛盾をあげつらいたいのではない。彼に引き裂かれを強いた情況の激変は、当然わたし(たち)が問われる課題にほかならないのだから。

○「恥ずかしそうな小さな声で」

 さらに注目すべき表現が並ぶ。同じ全集成の「2」の「新書版へのあとがき」では、こうも書いている、「西欧的(アメリカを含めて)段階とアフリカ的段階の中間にあって、わたしたち日本列島の住民は、アフリカ的段階を含めて、本当のグローバルとは何かを確定する好位置にある」と。続けて、日本列島の住民について、「単なる利潤や思想なきイデオロギー主義を超えることもできるひらかれた位置をしめているといってもいい、と恥ずかしそうな小さな声でつぶやいてもいいとしよう」と記している。

 このフレーズでは驚くことがある。まず、「日本列島民」が、「単なる利潤や思想なきイデオロギー主義を超えることもできるひらかれた位置をしめている」とするとき、「単なる利潤」が超えられるべきものと否定的にとらえられている。「単なる利潤」追求とは資本制の原理だ。吉本さんは資本制を無意識の「最高の達成」と評価し、八〇年代以降、その批判を原則として自らに封じてきたはずだ。ところが、ここでは「単なる利潤」追求の乗りこえに目を向けている。明らかに八〇、九〇年代の営為を根本からとらえなおす地点に立たされていた。資本主義のさらなる進展(超資本主義)、産業の高次化による価値増殖の先に未来を託した『ハイ・イメージ論』とは異なる地点に立っている。
 さらに読むものをはっとさせるのは、こういう述懐を、「恥ずかしそうな小さな声でつぶやいてもいいとしよう」と自己反省的な言葉で素直に表明していることだ。老いた吉本さんの、驚くべき率直性である。二〇〇八年段階で、吉本さんはこれまでの営為を問われていた。それが反面、小林の「反省なぞしない」にこだわらせた。

 もう一点、さらに補足しておくと、同じ二〇〇八年次のように語っている。「第二の敗戦期」である現代の課題について触れているくだりだ。「病気のことと、拡大する産業規模をどこで止めるか、止められるか、あるいは他に抜け道があるのかということを考えることが今の課題だろうと思います」(『貧困と思想』)。とても重大なことがさりげなく語られている。これまで一貫して資本制原理(である産業の拡大)に批判的な言辞を挟む論を一蹴してきたし、『ハイ・イメージ論』でも未来を切り拓く「産業の高次化」を語ってきた。ところが、その産業の高次化、産業規模の拡大にたいして、「どこで止めるか、止められるか、あるいは他に抜け道があるのか」という問いを投げかけるにいたる。思考の大きな転換を迫られていた。

○「三・一一」と「宿命」Jokyo2

 さて、現在における「宿命」を問わなければならない。小林秀雄は「大事変」(先の戦争)を、「一部の人達の無智と野心から起った」と反省しても、それは「はかない復讐」にすぎないし、力をもたない、歴史の必然性の怖しさを知らない戯言にすぎない、と言い切った。これにたいして、吉本さんは、「歴史の必然をものにしたいならば、わたしたちの思想が社会や国家や権力や、そういうもろもろのものから自立していることが必須の条件である」と自立の思想構築へ進んだ。吉本さんにとって、小林の目には「宿命」と写ったもの(歴史の必然)と格闘し、それを超えることが前提だった。その思想は、「黙々と戦争にしがたった多数の生活者」の思想とどこかでつなげなければならないと志向した。

 さて、晩年の吉本さんは「科学の進歩」を、小林の言う「宿命」と同じように受けとめている。たしかに「科学の進歩」は知の自然過程にほかならない。それを宿命といいかえることはできる。わたしたちがときに、いやだな、不気味だなといった心的なひっかかりを抱きながらも、科学の進歩は止められない。科学は「自然を拷問して口を割らせる」(小林秀雄)方向へどんどん進む。それは、是非を超えている。

 しかし、である。「科学の進歩」と、原子力発電所を生活圏で実際に稼働させることは、次元を異にする。いいかえれば、「科学の進歩」を阻んではならないから、原発を稼働させなければならない、と短絡させる必要はまったくない。そこには飛躍がある。原子力発電所を生活圏で稼働させなければ、科学が「進歩」したことにならない、わけではない。開発した原子力爆弾は必ず保持し必ず使用しなければならないという論が、短絡、飛躍であるのと同じように。しかもこの「進歩」は、使用済み核燃料棒という廃物のまっとうな処理をできずに、将来に押しつける甘えによって成立する。
 吉本さんは敗戦後と「三・一一」後とを比べ、「原発事故後は第二次大戦後の日本社会に似ています」、「今は当時と重なって見える」としている。しかし、敗戦後の知識人や文学者が反省もなしに立場を変えたときと、「三・一一」を経て、脱原発・反原発の声が(知識人や文学者ではない)多くの人びとのなかで勢いを増した事態を重ねるのは難しい。また、総力を挙げた「大事変」(「大東亜戦争」)と、原子力発電所の事故は、位相を異にする。原発は「核エネルギーの利用開発」の一形態の問題にすぎない。核エネルギー研究に科学の必然性はあっても、原発稼働という原子力利用の単なる一形態は、「歴史の必然性」でも「宿命」でもない。わたしたちの手によっていかようにも変更できる政策次元のことだ。

○近現代が迎えた敗戦期

 たしかに、『「反核」異論』のころ、(ソフト)スターリニズムとの闘いを独力で強いられた背景もみておかねばならない。吉本さんは、科学の知的探求自体に善悪の判断を挟んではならないという立場を一貫してとってきた。科学の進歩は妨げてはならない、「技術は必ず現在を超える」、これが彼の信念だ。技術は技術によって超えるしかないとするのは、一見するとハイデガーの技術論と似ている。近代技術とは別のところに、これを超える可能性をみるのではなく、技術のなかにこそ技術を超えられる可能性をみることにおいて。

 だが、両者の論は異なる。技術自体のとらえ方に違いがあるからだ。ハイデガーは「近代科学」が「自然現象があらかじめ算定できるものだということを、確保するような知識を追求するのです」(『技術論』)と、その限界を指摘し、踏まえている。しかし、吉本さんには技術を相対化する姿勢がみえない。肯定か否定か、進歩か退歩か、前進か暗黒か、そう二者択一を迫る構造のうえに立つ。科学の進歩を否定するのは退歩であり、暗黒への逆戻りである、と。おそらく彼の敗戦体験が深く影を落としている。あえていえば、「アフリカ的段階」の設定がその風穴を開けるものと位置づけられていたのだろう。

 「三・一一」の地震と津波は、自然の絶えざる生成の一環にほかならない。この自然の生成のなかで、近現代科学技術「進歩」の粋が脆くも崩れ、放射性物質が拡散した。さらに生産過程で生じる廃物の「最終処分」を曖昧に棚上げしてきた、わたしたちの身勝手を改めて露わにした。「三・一一」は近現代文明が抱える驕りと矛盾を露わにした。とすれば、第二の敗戦期というより、二〇世紀、さらに近現代が「敗戦期」を迎え、「進歩」が問い直される時期に至ったとみるべきではないか。ここでわたしは「進歩」に「反進歩」を対置したいのではない。むしろ、進歩か反進歩か、欲望か反欲望か、という近現代が立ててせめぎあってきた二項対立の思考構造が破綻したことを意味していると思う。そしてあの「六八年」という時代の運動は、そのことを先駆的に受けとめて起こったものではなかったか。

○与えられた課題

 人は相当の高齢になって大転換を図るのは難しい。最晩年の吉本さんは、むしろ変わらないことを貫こうとした。高齢と心身の状態を考えれば、そう処するしかなかったろう。それは批判でも皮肉でもなく、八〇代半ばまで生きぬいた人間存在の自然過程上で、避けられない貫きだと思う。そして二〇〇八年段階で大転換を迫られて漏らした「恥ずかしそうな小声でつぶやいてもいいとしよう」という率直な感慨を真摯に受けとめ、晩年の引き裂かれを直視し課題とするのが、彼の営為への礼儀と思う。字を読むことも歩行することもままならないなかで、それでも意識を研ぎ澄まし情況を受けとめ、その本質をつかもうとした、八〇代半ばの彼の発言を、しかと受けとめたい。「反省なぞしない」を評価しつつ、大転換を迫られていた事態をしかと受けとめたい。わたしの課題を列記してみる。

・吉本思想のOSとして設定された「大衆の原像」の再設定
・贈与論の近代的限界と「存在の倫理」のさらなる掘り下げ
・産業の高次化(価値化)とアフリカ的段階の追求を重ねる方法の問い直し

 いずれも「現代の超克」を考えるときに、避けて通れない課題である。今日でもいささかも色褪せない共同幻想論(対幻想論)、親鸞論(非知の問題)、心的現象論、母型論などとさらに対話し、糧とさせてもらいながら、その作業を進めるしかない。それが故人から計りしれない知的恩恵を受けてきたわたしが、その営為と労に多少でも報いる道である。 (おわり)

[2013年「流砂」6号掲載]

※吉本隆明さんをめぐっては、拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』(2009年刊)内のⅡ部内「マルクスと吉本隆明の先へ」、及び『吉本隆明と「二つの敗戦」』(2013年刊)で論じている。

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