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2016年8月28日 (日)

『コンビニ人間』  村田沙耶香

「小さな光の箱」の中で部品となることで、「人間」を取り戻す「私」……。

 コンビニエンスストアが広がり始めたのは、一九七〇年代後半、いや八〇年代ごろだろうか。
 当初は、「コンビニエンス? 『便利』がそれほどいいのか」と毒づいたりしていた記憶がある。ディープであることが敬遠され、軽薄短小が求めらるようになった時代だ。

 それでも今は、コンビニの「便利さ」に助けられることもかなりある。
 とくにありがたいのは、取材や旅で地方に出かけたとき。

 たとえば、数年前、宮崎県の高千穂に出かけたことがあった。熊本からバスに乗り二、三時間。高千穂の町に着いたのは、陽が落ちた頃だった。そDscn8266_2の夜は高千穂神社脇の舞台で神楽を観る予定だった。時間がないので夕食はとらずに会場に向かい、観終わって外に出ると、夜の町に灯りはほとんど見えない。どこかで夕食を、と考えても店がみつからない。
 幸いなことに、夜道を急いで町中を抜けた先にある予約したホテルの一階に、コンビニが開いていた。店から溢れ出てくる明るい光をみたときは、ほっとした。温めてもらったファーストフードと野菜サラダ、ピーナッツ、それにビール、ワインを買い、部屋でくつろぐことができた。
 こういうことが、旅先では何度もあって、コンビニに助けられた。かつて「『便利』がそれほどいいのか」と毒づいていたことを詫びなければならない。

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(写真は、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県宮古市田老地区の被災商店22店舗が入居する「たろちゃんハウス」。コンビニもがんばって営業中。地域の取材で訪ねたときにお世話になった)


 村田沙耶香さんの芥川賞受賞作『コンビニ人間』を読む。村田さんの作品に接するのは初めてのこと。

(※はじめにストーリーをなぞるので、「筋書」を知りたくない方はどうか無視してください)

  ★ ★ ★ ★ ★ 

 三〇代半ばで未婚の「私」は、コンビニでアルバイト店員を長年している。コンビニでしか自分を「人間」として感じられない、まさに「コンビニ人間」だ。
 小さい頃の「私」は、大人社会の常識とのずれがあり、親や周囲、学校との関係に悩む。そこで、自分なりに学習し、自分を異物とみなす周囲とは距離をおき、必要なこと以外はしゃべらず、自分を抑えるようになり、そのまま大人になってしまった。

 大学一年のとき、これからオープンするコンビニの店員募集を知り応募。アルバイトとして働くようになる。マニュアル通りにしっかり仕事をする中で、「私」は初めて、「世界の部品」になることができる。部品になるというのは、社会の役割の一部を担い、社会に認められ、他者とつながり、自分の居場所を確保すること。世間様に認められる「人間」として生きられるようになった。

 社会人になってからも、そのアルバイトを続けて十数年。三〇代半ばになり、未婚でコンビニでアルバイトとしていると、社会は次第に「異物」のように「私」を見始める。学生時代の同窓会の場でも、未婚で、コンビニでバイト生活の自分は「普通の三十代の女性」からは「異物」とみられる。

 それでも、なんとか平穏でいられた状況を急変させたのが、新しくアルバイト店員としてやってきた「白羽」君だ。針金のハンガーみたいな三十代の男。
 婚活目的でやってきた彼は、自分が勤め始めた職場であるコンビニを見下し、しかもまともに働かず、不平不満ばかり述べ、他店員、店長から嫌われる。屁理屈の社会批判をぶちまけるだけで、仕事はできない嫌な奴として、職場の「異物」と扱われる。当然、「私」も職場の皆と同調し、白羽君を異物視していた。

 ところが、「私」はひょんなことから、白羽君を自宅アパートに泊めることとなり、二人の間に、取り引きが成り立つ。社会に対するある種の共犯関係が生まれる。
 「私」は、この男を部屋に置いておけば、異性と接触のない三〇代の未婚でコンビニでバイトという「異物」扱いされる状況から外面的には逃れられる。「よくある主婦のアルバイトです」という口実ができる。
 「白羽」君の方は、こんなくだらない世の中の人間たちと自分は関わりたくないんだから、「世界から隠れたい」。「私」のアパートにずっといさせてくれれば、今まで支払いができなくなった自分の部屋の家賃の取り立てからだって逃れられる。

 そこで、自分たちを「異物」とみなす「正常」な社会に対して、「普通の人間」を偽装する共犯関係ができあがる。ただ、アパートの一部屋という空間でともに生活するようになっても、一方が風呂場や押し入れに籠もるだけで、何の交流もない。

 結局、白羽君との同棲が店に知れ渡り、好奇の目と過剰な祝福の言葉に、コンビニにいづらくなった「私」は、店を辞め、「白羽」君に背中を押されるようにして、正規雇用への応募に動き始める。
 しかし、面接会場に向かう土壇場になって、やはり自分が「コンビニ人間」であることを改めて自覚し、白羽君との共犯関係を断ちきり、「コンビニ人間」に戻る決意をする――。

  ★ ★ ★ ★ ★ 

 読みやすいこの作品の文学的魅力はいろいろみつけられるが、そのひとつは、社会の境界線の「こちら側」と「あちら側」を移行するドラマの変転の目まぐるしさにある。
 小さいころから社会の「異物」だった「私」は、大学生になってのコンビニのアルバイトで、自分の居場所を見出し、家族からも一定の評価を受ける(多少の社会復帰)。しかし、アルバイト生活が長年続き、三〇代半ばになると、再び「異物」とされる。その異物視を免れようと、異物仲間の男と表面的には同棲生活を始め、好奇も交じった祝福を社会から受け「正常」世界に戻り「異物」とみる視線を免れるはずだった。ところがそこには無理があり、結局、正常と異常という分割の線引きに拘るよりは、自分に正直であろうと、再び「コンビニ人間」をめざす。

P1130006_6 社会の規格(常識)と、規格外(非常識、異常)の間は必ずしも明確ではなく、また、人々は必死で規格(常識)でありたいと欲し、同時に規格外を「異物」として括り排除する。
 「正常」と「異常」、「普通の人間」と「マニュアル人間」、「世界の部品」(規格内)と「部品外」(規格外)。こうした分割線はいくらでも引けよう。

 社会の「異物」にはなりたくない、というのも苦労するし、他者を異物として排除する側も、自らが異物とならないように必死だ。それが、昔から変わらぬ職場や世間のありよう。
 もちろん異物視するにも、それなりの根拠はある。遅刻が多い、休みが多い……では、たまったものではない、と。

 「私」が選んで働くコンビニでは、「働くメンバーの一員であることが何よりも大切にされていく、……。性別も年齢も国籍も関係なく、同じ制服を身に付ければ全員が『店員』という均等な存在だ」。
 この事実は、一面素晴らしい達成といえる。もちろん、アルバイト、社員等の区分・差別の問題はあるけれど。

 一方の白羽君は、なんでもかでも問題を社会の責に転化させる左翼主義にもみえるし、あるいは自らの弱みを直視できずに身近な弱者叩きで自己を誇示するニーチェかぶれの優性思想(差別主義)にもみえる。
 そういう要素も含めて、作者はうまく描いている。

 ある読者は、「私」の「コンビニ人間」「マニュアル人間」ぶりに、情けなさや怒りを感じるかもしれない。
 別の読者は、「私」の「コンビニ人間」ぶりに、素直に生きようとする志の潔さを感じるかもしれない。
 また、別の読者からは、「コンビニ人間」でよいけれど、このままでは生活設計が成り立たない、生涯「コンビニ人間」でもやっていけるように社会の仕組みを改めるべきだ、いや「私」が正社員を目ざせばよい、と様々な提言もありうる。

 そうした様々な感想の手前で、作者の村田さんは「私」をそれなりの共感を抱きながら描いている。
 救い、光と感じられるのは、物語の最後で「私」が、これまでになかった体験だけれど、自分の細胞が生まれたばかりの甥っ子の明るい声と共鳴しているように感じたこと。それこそが、「私」の新しい一歩にちがいない。

  ★ ★ ★ ★ ★ 

 自分が自分であろうとして自分になれない、青春のそういうキツさは、いつの時代にもある。
 私自身の実感で語れば、一九六〇年代は、自己であろうとして自己たりえない疎外的な状況に対して、ずいぶん歪んだかたちも含めて、さまざまな反抗があった。それが、自己回復をめざすひとつの道だった。
 その道が自己崩壊するように崩れて閉ざされてからの一九八〇年代は、崩壊とともに立ちのぼる灰燼がくすぶる中で、どのように自己と誠実に向きあうのか、それが問われた。観念を肥大化させない倫理が問われた。

 二〇一〇年代半ばの「私」は、明るい「小さな光の箱」であるコンビニでの労働に、自己回復(承認)の道を求めた。マニュアルどおりであろうがどうあれ、たしかにそこには同僚やお客との心の価値交換がある。

 これまでの「私」は、「人間」であることを感じられたとはいうものの、「小さな光の箱」(コンビニ)に入ることを強いられていた。しかし、生まれたばかりの甥っ子の声と自分の細胞が共鳴し始めた今の「私」、三〇代半ばの「私」は、「小さな光の箱」を改めて自ら選びとるのであり、所与の器と受けとめるだけではすまなくなるに違いない。キツさが増す分、喜びも増せばよいが……。
 どうあれ、それを引き受けざるをえない。

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コメント

はじめまして。

> 二〇一〇六年代半ばの「私」は、

hagureさん
誤植についてのご連絡、ありがとうございます。

投稿: hagure | 2016年8月29日 (月) 07時37分

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