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2017年8月23日 (水)

佐藤優 『学生を戦地へ送るには』

~田辺元「悪魔の京大講義」を読む~

○本書誕生の背景

 西田幾多郎と並び、京都学派の一方の雄であった田辺元が著した『歴史的現實』(一九四〇年刊)という本をとりあげ、講読形式で論じた講座合宿の記録。
 観念論的用語に染められがちな田辺の論を、合宿の臨場感を伝えながら、できるだけ親しみやすい解説を試みている。
 本書名『学生を戦地へ送るには』にある通り、田辺の京大生へ向けた講義をまとめた『歴史的現實』は、戦時中、大東亜戦争に歴史的・哲学的根拠を与え、京大生たちを戦地に赴かせる、あるいはその背中を積極的に押すものだった。

P8230593 その全文を読みながら、著者佐藤さんは今日の第一級知識人らしく、キリスト教神学から日本思想史まで幅広い知識を駆使しながら、田辺元が語る際の心理の裏側まで読み解きつつ、『歴史的現實』における論理の「飛躍」を明かす。田辺哲学の核である「種」についても、丁寧に解説している。教えられるところも多い。

 では、なぜ今、田辺の『歴史的現實』をとりあげるのか。
 著者佐藤さんの意図は明確だ。「危険思想に対する予防接種」。
 今日の世界情勢は、トランプ大統領の出現、中東・朝鮮半島の緊迫、そしてISの拡散と、深刻の度を増している。国家対国家ではなく、国家対テロ組織の戦争が広がりつつある今日、従来とは異なる戦争の危険性も広がる。
 こうした情勢下で、「生きることは死ぬことだ」「悠久の大義に殉じた者は永遠に生きる」といった田辺の哲学の実体を暴くことで、少しでもその予防接種をしておきたい――それが著者の狙いだ。

○若者を戦場に送り、自らは逃避する学者・政治家・軍幹部

 ところで、田辺元の名は(「和風原論」でも紹介したように)会田雄次の『アーロン収容所』にも登場する。会田がビルマ(現ミャンマー)でイギリス軍に捕虜として囚われていたときの話で、京大卒の彼は、収容所にいた高校の先輩で哲学を専攻していた人物が収容所内で書いた小説を紹介している。その小説の内容は、「田辺元先生らしい憂国の哲学者を中心とする集団が、日本を経済的道徳的に破滅させようとする国際的陰謀と闘って日本を復興させる話」で、会田は過酷な生活を強いられていた収容所内で面白く読んだ、と書いている。
 だが、京大生や若者たちを戦地に赴かせる背中を押した田辺は、佐藤さんが『学生を戦地へ送るには』の中で指摘しているように、敗戦直前に『懺悔道の哲学』を書き、しかも空爆から安全な軽井沢へ退避し、敗戦後を生き延びた。
 学者に限らず、政治家も似たようなもので、軍人幹部ですら激戦の戦地で若者たちに檄を飛ばし、盾にしつつ、同様の露骨な逃避を図っていたことが、『アーロン収容所』で明らかにされている。

 さて、佐藤さんは本書で大変重要な指摘をしている。

   政治も国家も社会の一部にすぎません。

 大事で、しかも当たり前の、生活者が持つテーゼにすぎないけれど、田辺元だけでなく、和辻哲郎や柳田謙十郎ら、京都学派の学者の多くがここで躓き、逆転させ、「学生を戦地へ送る」役割を大なり小なり果たした。
 戦後、左翼の一部の間でも同様の躓きのもと、裏返した同パターンの言説が流布された。
 今日の情勢下で本書刊行の意義は少なくない。

○疑義と課題

 最後に、ひとつだけ疑問を呈すれば、佐藤さんは「禁書『国体の本義』を読み解く」という副題をもつ『日本国家の神髄』を二〇〇九年に著している。
 そこで氏は、一九三七年、文部省が編纂した『国体の本義』について、こう記している。
 「『国体の本義』は、国体明徴運動の結果、生まれかねない非合理的、神憑り的な観念論を阻止するために、欧米思想と科学技術の成果を日本が採り入れることを大前提に、現代国際社会で日本国家と日本人が生き残ることを考えた当時の日本の英知の結集であるというのが私の理解だ」
 私たちはそれぞれ、純粋培養の場ではなく、さまざまな歴史的規定を受けた場に生きるのであり、当時の情勢下での『国体の本義』をこう評価する佐藤さんの見方は、ひとつの見解として受けとめたい。
 ただ、同書での氏の表現「神話を回復すれば、われわれは死を克服できる」は、『学生を戦地へ送るには』の趣旨と反発しあうのではないだろうか。そこに受動と能動、防衛と侵略の相違を踏まえるにしても。
 氏は、「まだ私がきちんとやっていないものに国家論がある」と明言し、それを課題としているようだ。その成果に注目したい。

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